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もっと一般マスコミにも注視されていいと思う
MUNA-POCKET COFFEHOUSE『アストロノーツグラフティ』

2004/10/31(日)  クリエート浜松






■ムナポケ『アストロノーツグラフティ』を観る(鈴木マサヒロ様)
 「現代日本に生きる僕らは・・真っ白いキャンパスに・・自由に描く権利があり・・・描ききる義務もある・・」(代表 永井宏明)とやや固めな言葉使いで語る「ムナポケ」は、今公演で8作目という。
 立ち上げは2000年というのだから年2回をコンスタントに上演し続けてきたことになる。
 こう言っては失礼に当たるかもしれないが、コレはオドロキだ。<BR>だいたい若い劇団に限らず、表現行為の集団の維持、継続は並の努力ではいかないのが普通(しかもこんなハイテンションのまま)だからである。
 いま、こうしたエネルギーが全国的な地域演劇活動の活発化の一端を担っているのであり貴重なことなのである。
 もっと一般マスコミにも注視されていいと思う。

 矢井田(石田知子)の落ち着いた演技は唯一この舞台の散漫さを引き締めており、台詞の間も適切でよく情感が表現できていた。対して瀬川(前川哲平)は劇中に置かれた立場に「ボクは英雄になるんだ」だけの反応ではあまりに厚みに欠ける。「英雄になる」ことの苦悩も表現して欲しかった。
 一方開演時からめまぐるしく動きまわっていていたウパ(中尾幸一郎)だ。顔をすりむく程、あわや激突といったサービスには息をのんだが、観客は喜んだ。まさに体当たりの演技であった。が、道化役にしてはただ騒々しすぎると感じた人もいただろう。
 ところで、ウパとククルト(川井崇義)の出会いのシュチエーションに好感が持てた。なんともコミカルで何かが生まれる雰囲気があったのだ。後半のクライマックスあたりでこの二人が絡むシーンを期待したのは私一人ではあるまい

 さて今回の第8作「アストロノーツグラフティ」(作・演出 加藤和大) であるが、少々まとまりに欠け、作り込みが足りなかった舞台、というのが感想である。
 だからといって、単につまらなかったとは言えないのである。
 物語は、地球にサクロン星人の王女たちが自らの危機を救うといわれる遺伝子の持ち主=瀬川(前川哲平)を探しに来たが、実はその遺伝子は宇宙最終生物兵器であった。彼らはサクロン星を支配するタフマン星人の全宇宙支配戦略の情報操作に踊らされていただけであり、瀬川は支配者タフマンの手中に落ちてしまった。宇宙の果てで、瀬川を救出に来た高校時代からの親友たちと、サクロン人をガードする謎の地球人部隊が三つ巴の瀬川(=兵器)争奪戦を繰り広げるが、敢えなく散ってゆく。その間際、瀬川を密かに想う矢井田(石田知子)がサクロン星人の本当の王女であることを執事ウパが明かし、その手に全宇宙の時間をリセットできる王女のブレスレットを渡した。王女は「矢井田としての想い」ゆえにためらうが情勢はそれを許さない。ついに時はリセットされた。彼らの高校時代へと、その青き時代が再び始まるのである。


第52回浜松市芸術祭 はままつ演劇・人形劇フェスティバル2006 All rights reserved.