自分が何者であるか、本当の自分とは何者だろうか。
マナーモード『世界の中心で、サジを投げる』
2004/11/27(土)・28(日) テクノ100人劇場
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■演劇ユニットマナーモード「世界の中心で、サジを投げる」を見て(本間様)
劇評を書く前に会場に行って驚いた。1960年代のアングラ劇場と見間違うほどの会場。それは工場街の一角にある工場内。約100平方メートル位の広さに舞台と観客席が一緒。観客席は50人で満席、急ごしらえの4段になっていた。材料は何で作られていたのかクッションは良かった。時間少し前に着いたら中に入るように勧められた。何とそこは出演者の化粧室になっている。正に化粧の真っ最中であった。演劇を見る前にこの雰囲気には驚かされた。なんなら私にとっては初めての経験であったから。
さて演劇は、高度に細分化された現代の生活での出来事。若者に限らず中高年の多くが、ある時自分を見失う。自分が何者であるか、本当の自分とは何者だろうか。こうした心の葛藤を、同級生、妹、恋人とプチ整形をした医者との会話の中で話は進んで行く。
主人公のコウジ(山崎勝登)は、中、高校生時代に「ウジ」と渾名を付けられた苦い経験を持つ。そんな自分に決別すべくプチ整形をする。過去と現在に苦悩する若者の演技は、時には表現力に未熟なものを感じた。しかし、彼に限らずすべての出演者が、若者らしく演劇に対する情熱を素直に表現している演技には好感が持てた。
世の中が複雑になればなるほど、一個人の存在はジグソーパズルの1ピースでしかない。だがその1ピースが上手く嵌め込まれて一つの社会が成り立って行く。近江木の実の脚本、演出は、細部に渡って神経の行き届いた作品に仕上がっていた。
演技の中で、演劇集団キャラメルボックスが良く取り上げているダンスが、ここでも演じられていた。6人全員がそろって踊るダンスは、山崎勝登の振り付けが魅力的であった。もう少し長く踊っても良かったのではないだろうか。
舞台装置(アトリエPaPa)はシンプルなできであった。その中にも1セットのジグソーパズルが5枚に縦に割れ、それぞれが個性を持っているかのように舞台上を移動しているのは斬新であった。
変化に乏しかった照明(見野文昭)は、工場内と言う限られたスペースの中ではこれが精一杯であったであろう。
決して良い環境での舞台ではなかったが、この劇団から他の劇団に客員出演をしている団員がいると聞いて嬉しくなった。彼らの演劇に対する飽くなき挑戦、演劇に取り組む真摯な態度。真の意味での観客と一体となっての演劇、これこそが演劇の「原点」であると納得し期待した。 |
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