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“今”をコラージュされた人形たちは……
M-planet『伝説・くるみ割り人間』

2006/11/19(日)  メイワンエアロホール






■M-planet「伝説・くるみ割り人間」を観て (林様)
 題はくるみ割り「人形」,でなく,「人間」である。
 主人公の「人間」くるみは,事故に遭って生死の境をさまよっているが,記憶を失っており,状況がはっきりしない。そこに起こって来るが,「人形」と「人間」の争い。どちらも「生きる」ために「人間」の生身のからだを求める。そこには臓器移植の問題が見え隠れするわけだが,作者は,どちらかというと反対派,少なくとも完全肯定ではないものと思われた。

 からだのパーツのこと細かな値段表や,移植を受けた人形に現れた拒絶反応が,それを感じさせた。それにしても移植を望む人形たちの,醜さは何だろう。外見ではない。心がである。生きることに固執するということは醜いことなのだろうか。
 人形は人間のパーツを得ることで命を永らえようとするが,人間になったところでいずれ老いるし,死んでいく。人間に利用されているままである。人形は人間の体を持つことに,何を求めていたのか。目先の死の恐さにか,人形のおろかさからか,目標を見誤っていたのかもしれない。

 そして,からだが朽ちかけていたように,心も朽ちかけていたのかもしれない。では,現実の人間は?劇中の人形と変わらないのではないか?
 ぞっとした。

 多分まだ新しいメンバーなのだろうなと思われる役者は,演技も台詞も固さが見られた。その一方で,映像やダンスが,流れにアクセントを加えていたし,時事ネタもそこここに入れられていてくすっと笑えた。「シンドラー」と「エレベーター」,「勇輝」と「雪」など,名前にもう1つの意味があったことに気づいた時,私の脳は劇中でも扱われていた「アハ体験」の状態になっていたと思う。心地よい言葉遊びだった。

 オリジナル脚本,演出ということで正直不安もあったが,次回作も観てみたいと思えた。次回は,役者の一層のがんばりを期待したい。
■M-planetには、大いなる演劇小惑星として、いつまでも我々の周りを回り続けていてほしい(鈴木誠様)
 いい劇団である。チームワークが抜群で、劇団員の仲の良さが窺い知れる。音響・美術を含めて全員のアンサンブルが心地よい。これが第3回公演だという若い劇団の清々しさが感じられ、気恥ずかしい表現だが「青春」というものを思わずにはいられなかった。
 男女半々の出演者達は素人くささを残した者が多く、フレッシュ感いっぱいで親近感が持てる。この中に飛びぬけた演技巧者がいても、むしろ浮いてしまって舞台に馴染まなかっただろう。
 アマチュア劇団にありがちな、俳優の力量差による不協和音を感じずに済み、落ち着いて自然に観ることができた。

 ストーリーはメルヘンチックな風刺劇で、人形「ユウキ」が少女「くるみ」を救う冒険活劇の様相もみせる。
 臓器売買や国際テロや医療ミス、果てはエレベーター欠陥事故まで、当世社会事象を巧みに織り交ぜて構成。 若干詰め込みすぎのきらいはあるが、ストーリーに大きな破綻は無く、各シーンもバランスよく配置されている。

 難を言えば、「人形」という概念が少し解りにくいことか。パーツとか移植とかのセリフから、人造人間的なものということは推測できるが、人間との差異や置かれている立場などが説明不足のように感じられた。
もちろん、「人形」とすることで幻想的な世界を創り出そうという作者の意図は分かる。女の子と人形という、特別な愛情を伴った関係の持つ儚い美しさはよく描かれている。
 しかしそれが明らかになるのはラスト近くである。出だしから後半までは、「人形」というイメージに逆に縛られ、観客の想像力が分散させられてしまうのだ。これは唯一の弱点といえよう。

 ビデオ映像や音楽を効果的に使用するテクニックは一流だった。この辺はやはり若者中心の劇団らしさといえよう。
 デジタル技術の進歩は演劇の場においても影響が大きい。この手法はさらに発展させていくと一層面白いものが出来上がると私は考えている。メディアミックスが得意な世代には大いに期待したい。是非これからも精進していただきたいものである。
 美術・衣装は金のかかったものではないが、実に創意工夫が感じられた。金が無いなら知恵を出せ、である。
 こうした点は大いに共感できる。アマチュア劇団はこうでなくっちゃいかん。

 出演者では主役ユウキの伊藤が光った。男役であったため、なにやら宝塚的雰囲気が醸し出されて、不思議な魅力を発散させていた。次回はちゃんとした(?)女性役を観てみたいものである。
 個人的にはオオネズ役の桜井が気に入った。印象的な声と独特の喋り方が、謎めいた人物の造型に役立っている。
存在感のある個性派俳優と言えよう。

 それにしても、いい劇団である。若々しさが魅力の、未来を期待できる、そんな劇団を観た。観ている間に自分もその世界に入り込んでいるような、観終わった後に胸がキュンとなるような、そんな芝居を観た。
 私が歳をとったせいかもしれないが、こういう舞台がたまらなくいとおしい。M-planetには、大いなる演劇小惑星として、いつまでも我々の周りを回り続けていてほしい。冥王星のように。2003UB313のように。
■“今”をコラージュされた人形たちは……(阿部様)
 演劇賞へのエントリー作品の最後を飾って上演されたのが、人形たちと少女とのこの物語(作:近江木の実)。
そのファンタジックなスタイルとは裏腹に舞台には、自爆テロ、臓器移植に臓器売買、エレベーター事故にタレントとその配給会社、脳死問題や臨死体験、はてはアメリカにキューバにレバノンにアフガニスタンにモンゴルに近所の少々物騒な国に……。とにかく生々しい“今”が散りばめられ、貼り混ぜられていた。
「<犠牲>と<再生>をめぐる究極のファンタジー」なのだという。昨今、人形たちが不穏な動きを見せている。人間の臓器を移植してタレントとして打って出ようというのだ。そんな人形たちが暮らす家にどういう訳か、くるみという名の少女が迷い込む。人形たちのやっかみから、くるみは移植用の人体のパーツを手に入れるため、人間のパーティに潜入して、自爆テロを行おうとする。ところがそのテロは、くるみに思いを寄せる勇輝(ゆうき)という名の男の子の人形の配慮で不発に。しかし、くるみの身体は切り刻まれて人形たちに移植され、人形たちは思い通りにタレントとなったかに見えた。ところが人形たちには拒絶反応が出て……。そしてくるみは脳だけになって……。その後いろいろあったが、くるみはめでたく身体を取り戻すことができた。でもそこには、勇輝のいのちという犠牲があったのだ。
話しは“今”を取り入れて、多岐にわたる。軽いノリで言葉遊びも多い。ダンスもあり、映像も取り入れて、とにかく今日的なつくりなのだ。その展開を登場人物は皆、はつらつと楽しげに演じていた。特にくるみを演じた鈴木里美の演技とセリフは情感に富んで、その存在は光った。また勇輝役の伊藤梨紗からも、心地よい少年の風情が漂っていた。1年前のフェスティバル公演の時から、皆大きく成長した。各人の努力とともに、劇団主宰の近江木の実の指導力に負うところが大きいだろう。
 舞台装置(アトリエPapa)は、ボックスとパネルを使ったシンプルなもの。目まぐるしい場面転換に、素早く動いて様々な光景を作り出し、流れを引き締めた。この舞台のためのオリジナルの衣装(熊谷有加・伊藤梢)は、ファンタジックな雰囲気を高めていた。
 気になるのはやはり、“今”の扱い方。様々な話題が登場するが、それらが点描になっているだけで、それらの問題への切り込みや、現代そのものへの問いかけが、発せられていたとは思えない。その意味で、脚本が煩雑になった感が否めない。すっきり刈り込めば、主題がよりはっきり浮き出て来て、解かりやすかっただろう。
 さらに個人的な志向かも知れないが、気になることがひとつ。人間たちのパーティの場面で、登場人物の名前が国名になっていた。それはそれでよい。しかし、隣国からの激しい軍事攻撃の只中にあったり、いまだ戦火の傷が癒えずなおかつ国際的なテロリズムの温床ともなっている地域であったり、近隣にあって深刻な問題を抱える国家であったり。そのような名前を使うことにどんな意味があるだろうか。それらの国家や人々へのメッセージなり抗議なりを含んだ記号(あるいは象徴)として語られるなら、意味は充分にある。しかし今回は、他と代わり得る単なる名前のひとつとしての扱いだった。それぞれの当事者の苦しみを思って、違和感が残った。
■今回の作品は、良くも悪くも近江氏の影響が強く出た芝居であった(本間様)
 創立されてから3回目の公演という、若い劇団の芝居であった。脚本家、演出家、さらに役者でもある主宰者の近江木実氏以外は、全員20代の若者が中心の劇団である。新鮮で躍動感あふれる舞台は、リズミカルでテンポが速く、抜群な運動神経を感じさせた。ダンスや映像も取り入れ、観客にアピールしていた。せりふや動きから、彼らの息づかいまで伝わってくる。初舞台の2名を除き、フレッシュなだけでなく、この3年間で彼らの演技力は確実に上手くなっている。そう感じられた芝居であった。出演者が多く、上演時間も長いだけに、主宰者の苦労が強く感じられた。
 子どものおもちゃが壊れて、そのまま放置されている。公的機関はおもちゃの病院を定期的に開き、壊れたおもちゃを直している。だが、子供に物の大切さを教えるとか、大人にお金を出せば何でも手に入る気持ちを改めさせるというのが、この芝居の主眼ではない。
 捨てられて見向きもされない人形が、人間の身体の一部を使って再生していく。上手く再生するためには、できるだけ新鮮な身体が必要である。再生の順番を待つ人形、脳死状態の人間を斡旋する業者、暗躍するタレント配給会社社長、さらに高額な報酬で手術をする外科医。提供しようか迷っている脳死状態の娘、人形でありながら彼女を助けようとする勇輝。彼らが複雑に絡み合って話は展開していく。
 脚本が的を絞り込めていないのは残念だった。主眼をどこに置くのか。人形に身体を売る少女と、それを助けようとする人形の勇輝なのか。彼らと人体を欲しがる人形との場面転換が多く、芝居のつながりにも不自然さを感じた。
 だが、時代にあった芝居としては、共感が持てた。最新のニュースで、腎臓移植が医学の倫理に反して行われたと報道された。移植に必要な臓器が不足している。現場の医者は、倫理を優先するか、目の前で苦しんでいる患者への対応を優先するかで悩んでいる。人形に意志があれば、速く脳死と決めて移植して欲しいと願うだろう。脳死の判断は、現代医学をもってしても難しい問題である。これを取り上げて芝居を創った近江氏の才能と勇気には、拍手を惜しまない。社会性を持った喜劇であった。
 捨てられた人形の叫びが心を打った。これは臓器移植の順番を待つ人間の叫びである。臓器移植が今ひとつ普及しない社会に、近江氏がならした警鐘の意味は大きい。今回の作品は、良くも悪くも近江氏の影響が強く出た芝居であった。
■アンケートより
○出演者の熱意と頑張りが伝わってきました。今後の公演に期待します。

○おもしろかった

○楽しかったです。ありがとうございました。

○セリフもしっかりしていたし舞台装置もそれなりによかった。本もうまくできていた。少し説明不足か?

○少し見にくいような気がします。特に両サイドはキツイと思います。内容はストーリーがすごく良かったです。また次回もいきたいと思います。

○演出がよかった。高校演劇教室で是非やっていただきたいです。

○よい企画でした。役者の成長がみられ満足でした。来年も待しています。

○かっこいいなあと思いました。また機会があれば観たいですね。ありがとうございました。

○開演時間が遅れないようにしてほしい。客席が高くて下がったステージの時見にくい。時間がやや長い。

○貴重な体験ができました。

○来年も楽しみにしています。

○人形たちの表情がかわいかった。ストーリーがなかった。

○発想が大変興味深かったです。

○おもしろく拝見しました。舞台装置がとても工夫されていて効果的だったと思います。


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