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愚かな人間のために、何の罪も無い悲劇的な動物がなくなる日の一日も早く来る日を願った1時間15分であった。
浜松放送劇団『落日の賦』

2004/11/7(日)  福祉交流センター






■浜松放送劇団「落日の賦」を見て(本間様)
 村越一哲氏の脚本、演出は、総体的に手堅く、安心して見る事が出来た。時代は終戦2年前の昭和18年8月、戦局は日毎に敗色が濃くなっていた。物語は上野動物園の猛獣、その中でも象の「トンキー」の処分を巡っての話。「殺せ」と指示する東京都長官と、仙台に移動してでも生かそうとする飼育課長他二人の意見の対立。両者の心の葛藤を中心に話は進んで行く。戦局を冷静に見つめる長官には、この戦争が如何に無謀なものであるかを知るのだが、公言できないもどかしさが観客に伝わってくる。
 岡本和孝の「大石長官」と、古賀昭隆の「井上課長」は、ベテランらしく重厚な演技が、暗澹たる時代に苦悩する姿を見事に演じていた。しかし台詞の詰まりとトチリはご愛嬌と言うべきか、多少気になった。飼育係りの女性二人が異常に太っていたのは、最初はミスキャストではと思った。だが舞台上では見えない痩せ細った象との対象で、象の哀れさを一層強く伝えようとする演出上の計算であるとすれば、見事な演出であった。その他山下春子の「和子」役も、全体に哀歓が漂う秀逸した演技であった。

 舞台装置は極めて簡素で、好感が持てた。少し高級感が出ていた和室、庭木を背景にしたテーブルと椅子。高級官僚の邸宅の雰囲気が出ていた。長官室の応接間には、洋画等一枚掛けてあった方が良かったのでは無いだろうか。
 音楽は演出効果を上げる上で、重要な役割を持っていた。時代を映した重苦しさの中、特にバイオリンの響きは深く心にしみてきた。
 戦争の悲惨さ、惨たらしさは各種の演劇で取り上げられている。1頭の象の処遇を中心に、声高でない反戦思想、平和の大切さ、有難さを充分観客に伝える事が出来た演劇であった。
 時悪しくもイラクでは、再びアメリカによる大規模な攻撃が広げられている。少し前の報道では、イラクの動物園でも猛獣を射殺したと伝えていた。愚かな人間のために、何の罪も無い悲劇的な動物がなくなる日の一日も早く来る日を願った1時間15分であった。


第52回浜松市芸術祭 はままつ演劇・人形劇フェスティバル2006 All rights reserved.