来年は更に進化したユニットライブを期待したい
演劇集団es、フィールド、FAN−KAYS『ユニットライブ』
2006/11/12(日) クリエート浜松
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■来年は更に進化したユニットライブを期待したい (林様)
2つの劇団と1つのダンスチームの競演。
ダンスチーム「FAN−KAYS」のダンスで幕開け。続いて「演劇集団es」による「街は囁いて」。夢の世界の小さなバーに,客たちがやってくる。 そこに,今は亡き人たちが現れ,客たちは伝えられなかった言葉を,伝えていく…そんな哀しみと浄化のファンタジー。
最後は「フィールド」による「ストリップ」。ストリップ劇場の楽屋が舞台。一人のストリップ嬢の父親が来場してストリップ嬢は動揺するが,その父親の目的は,娘のことでなくて…ほろ苦い人間ドラマ。ユニットライブという,複数の団体が次々と舞台に立つという形態は初めての体験だったが,一度で3つも楽しめ,お得感があった。ただ,各団体を紹介する役を担った「FAN−KAYS」には,もうちょっと頑張ってもらってそれぞれの作品の間を上手くつなげて欲しかった。こちらのチーム,3人のチームのようであったが,1人だけの参加だったので,事情があったのかもしれないが。
とにかく今回は2つの芝居に,ちょっとおまけという感じだったので,勢いを感じられるトークだっただけに,もったいない気がした。「演劇集団es」は掛川市で活動している劇団であり,この浜松のフェスティバルにはるばる参加してもらえたことは,地域的な広がりができたということで,喜ばしいところである。
ただ,全般的に台詞が聞き取りにくかったことと,ラストで耳を澄ますシーンで,客席から携帯電話の振動音が聞こえてきのが残念。「フィールド」は,今回の3団体の中では1番演技も演出もこなれていて,観やすかった。相手を元気付ける言葉であるらしい「げんこりんぱい」という言葉ととってもおいしそうな苺ジャムが,悲壮な結末に光を投げかけていて,後味感も良かった。
2つの芝居は夢の世界と現実の世界とのものであったが,それらが交じり合って境があいまいになり,不思議な観後感を抱いた。今回は印象として似たような作風の2劇団であったが,真逆のとりあわせというのも観てみたい。
せっかくのフェスティバル。せっかくの企画モノ。来年は更に進化したユニットライブを期待したい。 |
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■フィールド 「ストリップ」を観て(鈴木誠様)
派手な衣装がたくさん掛かる小部屋に女が二人。タイトルから察して、すぐに二人がストリッパーであると分かる。
先輩ダンサーと新人ダンサー。少々スレた物言いの先輩ツバキとアッケラカンとした新人カエデの、仲が良いのか良くないのかよく分からない会話が劇を進行させていく。
この絡みが実にいい。静と動、陰と陽、経験と若さ、知恵と感性。好対照な二人
の女の会話が軽妙でありつつも味わい深いのだ。特殊な世界にいるからこそ、ふとした会話に人生の深遠が隠されていたりもする。
よく考えれば、男女のコトの本質を一番知り抜いているのが彼女達か。(まあ現代的に言えばそれは風俗嬢になるのだろうが、これは演劇にはしにくいだろう)二人の話題はストリップという領域を越えて、オンナそのものを浮き彫りにしていく。ツバキの一人芝居の場面がその白眉だ。男の私からすると非常に興味深い世界。そしてそれが自然に嫌味なく展開されていく。見事な筋運びである。
二人の生き方もまた対照的だ。そこから生まれる反発や共感が二人の距離を縮めたり遠ざけたりする。
男や恋愛に対してシニカルな視点のツバキには、どこか達観したような諦めの姿勢が感じられる。かたやカエデは若さゆえかまだまだエネルギッシュで、この世の中に希望を抱き続けているようだ。
そんなカエデはしきりにツバキをピクニックに誘う。この「ピクニック」が、閉ざされた世界からの開放を暗示しているのは間違いないだろう。果たして二人はピクニックに出かけられるのか。
ストリップ劇場が舞台ということで、支配人とコメディアンも登場する。しかし特に強固な自己主張も無く、前半はどちらかといえば狂言回しのような役回りに終始する。男優陣が退いた分だけ女優二人の存在感が大きく感じられて、ここら辺のさじ加減も見事だ。
一貫して劇は二人のストリッパーが引っ張り展開していく。なかでもカエデの父親が来場したことによるドタバタが面白く、シチュエーション・コメディとしても一級品の趣である。
ツバキ役の鈴木もカエデ役の木下も素晴らしい。役柄を完全に把握し、自己のなかで消化し切っている。舞台の上にいるのはまぎれもなく、悲喜こもごもな場末のストリッパー二人組だ。観客はいつしかこの二人がいとおしくなり、共感を覚えていく。
この時点でこの舞台は勝利した。主人公達の魅力で観客に心地よい空気を与えることに成功したのだ。
しかし終盤になると、この空気が鈍化してくる。にわかに推理劇の様相を呈し、雰囲気が一変するのだ。
まずカエデの父親が刑事であることが発覚する。そして彼と支配人との会話から、支配人とツバキとの意外な過去が明らかになる。そこから先はありがちな三角関係の愛憎劇。
楽屋に仕込まれた隠しカメラを挟んでの2つの舞台、という趣向が演劇的に凝らされてはいるが、劇前半とのギャップ感はどうしても否めない。
なにしろ伏線がほとんど無かったので、急にサスペンスタッチになっても観客は戸惑うしかない。各人物像にも違和感がありあり。ツバキと支配人からはそんな関係性を匂わす雰囲気は微塵も感じられなかったし、これではせっかく観客が築き上げたツバキ像が崩れてしまう。
事件の真相も通俗的すぎる、というかこんなの今どき女性誌でも載せやしない。唯一の救いは刑事役の高橋が落ち着いた重厚な芝居で舞台をピリッと締めていたくらいか。
ここは前半の流れのまま二人のストリッパーの悲喜こもごもな日常を描き切るべきではなかっただろうか。作者は起承転結の「転」を入れたかったのかもしれないが、転がるだけが劇ではない。
演劇それ自体が非日常であるのだから、無理矢理に事件を起こさなくとも観客はすでに非日常に浸っているのだ。
「転がる石に苔は生えない」という諺には2つの意味がある。人生の重みという苔を味わいたいなら無闇に話を
転がすべきではなかろう。二人のストリッパーの人生というものをじっくり味わえる機会があっただけに惜しまれるところだ。
とはいえ、この舞台の勝利は変わらない。ラストは前半の雰囲気に回帰し、二人の前途にも明るさが垣間見られる。
ツバキとカエデの今後に幸あれと祈らずにいられなくなる。ああ、私も二人と一緒にピクニックに行きたいものだ。いや、もう私は彼女達とピクニックに行ったのだな。
この劇場での120分間のピクニックに。イチゴジャムもいただいた。それは甘くて酸っぱくて、すこぶる美味であったよ。 |
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■アンケートより
○「街はささやいて」で、きーちゃんのお母さんがおもしろかったです。「あのときこうすれば……」の繰り返しで人は生きているは、本当にその通り。
○HP、見にくい。告知も弱い。プログラム(パンフ、チラシ)も見にくいです。もっともりあがっていくと良いですね。
○浜松市芸術祭も今年で52回を数えるのですね。浜松と言うと、やはり「音楽」という代表的芸術がありますが(去年からピアノアカデミーコンクールピアノコンクールが始まったが)演劇という文化も広げていって欲しい。演劇ばんざい!!
○異なる団体の競演は各々楽しみだけれど、今後はそのつながりがもっとスムーズになったら白気タイムがなくなり、モチベーションが途切れないと思う。携帯電話をオフにしていない人が何人もいて意識が途切れる。やはり各自マナーを守るのは大切だけれども、事前に注意することも必要ではないでしょうか。また、観客がそのレベルだと主催者は認識すべきでしょう。マナーモードも気になるし、ぱかっと明るくなるのも気になる。3つの劇団の活躍と思っていたけれど、はっきりしなくてまだ後があるかと思いました。やはり、メリハリが欲しい、連結と。
○お芝居は初めてみましたが、とても楽しかったです。また機会があればみたいです。
○イスが痛い
○観る方の環境改善を望みます。申し訳ないが、尻が痛くて集中出来ない
○情報発信や生活の活力を与える役割は果たせているように思う。下のイスが痛い。
○携帯は完全にオフにするよう徹底して下さい。終わったあとに次の開演時間を明示して欲しかったです。
○なかなか凝った内容でおもしろかった
○いろいろ勉強させてもらいました
○初めての演劇体験でしたが、かなりおもしろかったです
○こういうのを観たのは初めてでしたが、楽しかったです!!
○楽しかったです。おもしろかったです。来年もまた見せて下さい
○混んでいた。合同公演のせいか?
○音声が聞き取りにくいところがあり、充分理解するに至らなかった
○お芝居は好きですが、なじみのない劇団やタイトルだけでは、なかなか足を向けるのが困難です。市民にもっとアピールしたり宣伝して、フェスティバルとしている以上、もう少し安くたくさんの人々に来場していただけるようなイベントになると良いと思います。
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