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劇団名を<絡繰機械‘S(カラクリマシーンズ)>と改称した今、さらなる充実を大いに期待したい。
PROJECT熱+唐津匠(改造注意報)

2006/10/22(日)  クリエート浜松

■部屋の中の傷の痛みは伝わったのか PROJECT熱+唐津匠「スターマン」を観る (阿部様)
部屋がある。
そこに住むのは、妹(中西祥子)と兄(森歩)。訪れるのは、妹の高校の同級生の岸川(伊藤彩希)、兄の芝居仲間の小野寺(上野果実)、そしてとなりの新婚カップルの妻の神尾(たばるとも)。登場人物はこの5人。
岸田戯曲賞受賞の気鋭の劇作家、岩松了の『スターマン』が描くのは、妹の同窓会をはさむ数日間、この部屋に起こる出来事なのだ。
時間とともに明かされるのは、妹は精神的に不安定であること。兄はその妹に寄り添って暮らしていること。ふたりは、他者に対してかなりの程度に不寛容であることなどなど。
そしてその背景に存在するのは、子どもの頃のトラウマ。小さい時ふたりの父は失踪し、母は病死。育ての親の伯母はどうやら父と通じているらしく、そんな伯母を妹は嫌い、伯母はふたりが高校の時に自殺した、という重い過去。兄妹は、そのトラウマから抜け出せずにいる。のみならず、兄は死んだ母の面影を妹に色濃く見出し、妹は……。
会話劇である。
この劇団の過去2年のフェスティバル参加作品が、アクション性の高い作品であっただけに、少々意外だった。とは言えこの作品の持つ重く暗く、どこか不安な、そしてはかなげな空気は、そこはかとなく伝わってくる。
しかしなぜか間延びしている。どうしても物足りないのだ。これは決して演出(松本俊一他)として意図したものではないだろう。では何故なのか。
台詞は、早口ながらも音としては伝わって来る。しかしそれは、平板にさらさらと流れ去ってしまい、時として、誰の発する言葉なのかさえ判りにくい。
結局これは、各人の役柄の内面化の問題なのではないか。台詞が深く骨肉化された時、それは各人の思いに裏打ちされた身体の言葉として伝わるはずである。その時、様々な間(ま)も、おのずからシャープに決るだろう。
身体性に優れた劇団であるからこそ、そんな内面化された、身体を動かさない心のアクションも深められるのではないか。劇団名を<絡繰機械‘S(カラクリマシーンズ)>と改称した今、さらなる充実を大いに期待したい。
とまれ、この部屋のリアルなしつらい(舞台監督:森歩他)は、この物語の骨格を確かなものにした。はかなさを伝えて印象的なものがふたつ。ひとつは幕間に流れるエリック・サティ風のピアノ曲(音楽:たばるとも)。そして隣の新婚カップルが愛し合う振動を伝えてチリチリと鳴り続けるワイングラスの音色(音響:唐津匠)。この音に誘われるように、来訪者は情事へと進み、妹も兄へとにじり寄る。かすかな不気味ささえ漂っていた。照明(唐津匠)の切り替えは、時に素早てよかったのではないか。 
■project+唐津匠公演「スターマン」 (本間様)
スターマン、直訳すれば「星の男」と、芝居の内容との関連性が理解できなかった。脚本の岩松了の「とにかくだらしない時間、緊張のない時間」を目的としていた演劇としては、自己満足した芝居であった。
 面白みのない芝居だった。登場人物の人間関係は理解できたが、描き方が中途半端ではなかったか。何処にでも起こりそうな一般的な話題を、演劇にする難しさを感じた芝居だった。同窓会、同僚と妹の結婚を願う兄と妹と同級生の三角関係にも似た話、隣りに住む奥さんと異母兄弟ではと悩む兄と妹、父と伯母との関係……。こうした人間関係の絡みから、作者が何を訴えようとしているのかが観客に伝わってこない。人間誰しも多少の悩みを持って生きている。きわめて小市民的な問題で観客に感動を与えるには、しっかりした脚本が大切である。単に恨み悩みを羅列しただけでは、観客の心を掴むことはできない。作者の自己満足になってしまう危険性が、ここにはあった。
 更に安直に思えたのは、兄と小野寺が劇団の仕事についているという設定である。劇団に関係する作者が想定した役柄としては、あまりにも安直すぎないか。
 役者はそれぞれの役柄を上手く出していた。日常的会話が多く、感情の起伏が少ない役柄を好演していたのは好感が持てた。上野(小野寺役)のオーバー気味の演技も、この芝居では良い味を出していた。ただヘッドホーンをしたままの会話は、無理があった。実際には無理であろう。細かい点での注意が欲しかった。
 舞台装置には工夫が見られた。普通のマンションの一室であるが、奥の部屋を壁でなくブラインドで仕切り、観客から見やすくするなど、大道具の伊藤彩希の苦労が報われていた。衣装(中西祥子)は岸川の衣装が良かった。現代の衣装でも良かったのだが、それぞれの場面に合った衣装は楽しかった。特に小野寺に言い寄る場面で、少し大胆な衣装は、岸川の気持ちを衣装でも表現していた。
 舞台上での飲食はまねごとだけと、私が現役の頃は教わった。今日の舞台では、実際にワインを飲み、ケーキを食べていた。観客にリアルに訴えるには、実際に飲み食べる方が直接伝わってよいと感じた。その後の台詞を心配したが、何の問題もなかった。
 夜の部を見たが、観客の数が少なく残念だった。特に一般客が少ないのが気がかりだった。生の演劇の楽しさを広げるためには、一考を要する芝居だった。
■スターマンとはおまえ自身である (鈴木誠様)
 岩松了の作品ということで期待して観た。既に評価の定まった作者の戯曲を上演するということはその劇団の方向性や志向を示す格好の意思表示だ。PROJECT熱+唐津匠が目指す地点には都会派小劇団のクールでコミカルでシニカルな世界が垣間見える。
 80年代の喧騒と00年代の爛熟とに挟まれた90年代の小劇場界の、軽やか且つスノッブな空気を代表するのが岩松了だからだ。

 舞台はマンションの一室のみ。登場人物は5人だけ。これといった大事件は起こらず、極めて日常的な数日が展開されていく。熱を帯びたセリフもエネルギッシュな肉体表現もなく、あくまでクールに劇は進行する。
 愚直すぎて生き方のヘタッピな兄妹と、しごく平凡そうな隣家の新婚主婦。
 ウマく生きてるようでそうでもない、兄妹それぞれの友人達。
 彼らが見せる生活は、自分の隣室で起こっていてもなんら不思議ではない世界だ。

 当然、舞台は心理劇の様相で展開していく。様々な組み合わせによる登場人物達の会話から、兄妹の生い立ちにまつわる謎が次第に明らかになっていくのだが、この縦糸が一定の緊張感を感じさせて好ましい。長丁場でも退屈しないのだ。
 また、ちょっとしたギャグやくすぐりのスパイスも効いている。兄の友人、小野寺がコメディリリーフ的役割を果たしてもいるのだが、話の邪魔にならず実にいい按配で配置されている。

 メインテーマは徐々にセクシャルな部分に集約されていく。象徴は揺れて鳴るワイングラスだ。
 隣室のベッド上での激しい律動に共鳴するかのように鳴くワイングラス達。兄妹は、観葉植物は隣室との壁から離してもワイングラス棚は決して動かさない。鳴くのに任せている。
 兄妹の父親はかつて義姉と姦通していたようで、二人の育ての親でもある義姉は自殺。トラウマを背負ったまま二人は同居しているのだが、お互いに恋人はいない風だ。
 広いリビングにはベッドが一つだけ。ブラインド越しに兄の部屋も見えるのだが寝具は見当たらない。ベッドには、時を変えて兄も妹もその中に潜り込んでいる。どちらのものなのか判然としない。
 妹は、SEXを謳歌している隣室の新婚主婦に異常なまでに共感する。妹は彼女に伯母の姿をダブらせているらしい。だが、その夫は姿をいっこうに現さず、兄妹の父同様に存在感を持たない。そして兄は、母の面影を残した妹の顔に今更ながら感嘆したりする。
 ワイングラスは劇中に何度か揺れて鳴くが、その都度兄妹は極めて冷静に振舞う。しかし最後には、隣室に夫しかいないはずの状況で激しくワイングラスが鳴く。妹は怯え、兄を呼ぶ。兄はベッドに潜ったまま答えない…。

 この兄妹が互いを激しく意識しあっているのは疑いようがない。SEXの象徴のワイングラス音は、潜在意識にある性的願望を顕在化してくれる意味で二人にとって安定剤のようなモノであったのだろう。
 予定調和として行われる隣室夫婦の激しい営みなら、兄妹にとっては意識レベルでの性的発散につながるもの
であったはずだ。だが、夫の相手が誰だか分からないソレは、二人にとっては過去のトラウマをほじくり返す悪夢そのものだ。揺れるワイングラスは恐怖の音を奏でることになる。
 いささか深読みかもしれないが、肉親・親族といった近親の愛憎を寓意的に描き出しているのがこの作品のキモのように思われる。ただし、現代風俗に溶け込ませてあくまでサラッと軽やかに描くのが、シティ派小劇場作品としての真骨頂なのである。

 出演者では兄役の森が良い。森の声が良い。声質・発声ともに素晴らしい。アマチュア劇団ではこういった
基本的なことが大事なのだと思う。
 妹、その友人、隣室の主婦、を演じた3人は、それぞれの役柄を多少デフォルメ気味に演じている。そのため、女性登場人物達からは結構エキセントリックな印象を受ける。全員が病んでいる、と言ってもいいくらいの印象。
 この舞台を観て若干女嫌いになる男性もいるかも。美術・音響・照明は文句無し。特に照明は一見の価値あり、だ。舞台の映え具合、役者の見え方、小道具との相関性、等が巧みに計算されている。
 2時間以上を飽かずに観せるのだから、この劇団の実力は本物であろう。是非オリジナル作品を観てみたいものだ。

 元の舞台を観ていないので、今回の松本俊一氏の演出が当時とどういった変化を出しているのかは如実には分からない。
 だが、小道具等を見ても推測できるように、あまりイジくらず忠実に再現していたのではないかと思われる。
したがって、ラストを含めてそのシニカルな視点は2006年の現在にもたしかに提示されたということになるだろう。
極めて客観的で冷酷な視点は、はたして今の若者達にどう受け取られるだろうか。スターマンとはおまえ自身である。
■アンケートより
○不思議な気持ちになりました。

○蜷川さんが埼玉で行った様な中高年の劇団が出来ると良いなと思います。また浜松以外の人も関心を持って当地を訪れる様な全国的なレベルに育って、魅力あるフェスティバルになって欲しいです。みんな芸達者で驚きました。出演者の皆さんの性格がよくつかめず少々疲れました。

○日常の何気ない会話がリアルで良かったです。

○進歩した演技を見せていただきました。皆さん頑張りましたね。

○ちょっと難しかったけど、惹きこまれました。

○話が濃かったです。

○初観劇です。舞台が近くて迫力がありました。台詞は考えてしまうものが多かったです。ラストシーンの照明が印象的でした。御疲れ様でした。

○浜松の演劇が元気になるようにこれからも頑張って下さい。

○途中休憩を入れて欲しかったです。

○入り口が片側だけで、遅れた人が入りにくそうでした。

○良い体験をしました。頑張って下さい。

○良かったです。

○思っていたより良かったがテーマを理解できなかったです。誰でも理解できるところに意味があると思います。

○結構難しかったが、みんなすごくうまかったと思います。

○なかなか見ごたえがあり、熱意が感じられました。色々な役をこなして皆さんすごいです。次回期待しています。

○舞台の部屋の装置などすごいですね。

○ブラインド越しに見えるシチュエーションが面白かったです。最後に静かにワインを飲むシーン、岸川さんと小野寺さんのやりとりに活気があり、良かったです。

○舞台が意外に広かった。客席がちらほらで、もったいなく思いました。

○丁寧に作った舞台ですね。次の作品も観たいです。

○クリエート浜松での観劇は初めてで満足しました。前列は観にくいが音響は良かったです。


第52回浜松市芸術祭 はままつ演劇・人形劇フェスティバル2006 All rights reserved.