劇評
「いいとしのエリー」M・planet
2005年11月27日(日) メイワン 8Fエアロホール
加藤
 会場に少し遅れて入った私は、ほぼ満席の中から幸運にも最前列の一番右端に座ることができました。ふと前を見ると、ステージ前の床に“おいしそうなりんご”が点々と置かれています。そしてその“りんごたち”は、あちこち向きながらも半円形のステージラインを作っているではありませんか。私は「なんてユニークで味のある嗜好かしら」と劇が始まる前から楽しくなりました

 さて、みなさんは「いいとしのエリー」という題名から何を連想するでしょうか。私はまず、サザンオールスターの「いとしのエリー」を思い出し、次にこの劇は「いい年」のエリー(女性)の恋の物語ではないかと考えました。劇のストーリーについては控えさせていただきますが、さりげない言葉遊びやユーモアがあり、意外性に富んだ脚本と演出が見ごたえのある作品に仕上げています。

 また、出演者もりんごも粒ぞろいです。特に、記憶を失いかけている初老の元物理学者「藤村」を演じる見野さんの演技がすてきです。学者らしい知的なやさしさと記憶を失っていく不安やさみしさが直接胸に伝わってきました。やさしくてしっかり者のヘルパーの「エリー」役の館香さんは、本人のキャラクターと重なっているのではないかと思うほど自然体でした。どこか頼りない感じのする元地震予知の研究員「アリヤ」役の桜井さんのかもしだす雰囲気も、そのよわよわしさゆえかえって忘れがたいものがありました。ちなみに“りんごたち”はナンパ男「石見」とエリーをつなぎ、エリーと「藤村」をつないでいきます。そして「石見」と「藤村」の間にも“りんご”が。

 りんごといえばもう一つ思い出すものがあります。ニュートンの万有引力です。地球の引力に引き寄せられて落ちるりんごと、引き合いながらも地球に決して落ちてこない月。「アリヤ」は同じ研究員「ナシダ」に思いを寄せるが、恋の行方は・・・。「いいとしのエリー」は初めから終わりまで“みずみずしいりんご”のような甘酸っぱい人間模様が織りなすまるかじりのおいしさが楽しめる作品です。

 はままつ演劇・人形劇フェスティバル2005の最終ステージを飾った劇団M―planetの旗揚げ公演の成功は今フェスティバルの成功でもあります。フェスティバルに参加された各劇団の方々をはじめ、スタッフや各関係機関の皆さま、ありがとうございました。来年もまた、すばらしい演劇や人形劇が上演されるフェスティバルとなりますよう期待しています。
大石「いいとしのエリー」を観劇して
科学者らしい3人が登揚。でも、3人が始めた会話を聞けば、科学者らしからぬ思惑。超能力を持つある女性を説得し、現在の、科学のカでは難しい地震予知をさせ、ビジネスにしたい下心。地震予知能カを持つと言われている「エリー」。

「エリー」と呼ばれているからには、若い女性と思い込んだ3人組。探し出されたのが、ボケの始まった初老の男性の介護をしている女性。当の女性はそんな能力は無いと言っているのに、3人組の部長の三原の指揮の下、強引な説得工作に乗り出す。

そして女性なら、誰彼かまわず自分の物に出来ると思っている自信家の石見を使い、超能カがあると思われる女性を陥落させようとする。その経緯の中で、若い女性の名前から、石見が呼んだ名前が「エリー」。すっかりその呼名が気に入り、石見に好意を寄せるエリー。今、多くの人々が心配している地震を、中心のテーマにすえ物語りは三原がなぜそこまで、地震に拘るのか、過去が明かになる。夫々の登揚人物の人生や思いが物語に織り込まれていく。そして、様々な人間模様の中、折々に物語を繋ぐのが「りんご」。

地震という大きなテーマに、老人杜会にまっしぐらに進んでいる、日本の現状を被せ、かなりスケールの大きな問題を取り上げていると思った。

静岡県内の劇団に、横の繋がりを作りたいと活動されている見野文昭さんが、もう一人の主役として登場する。見野さんのまだらポケから次第にポケの進む姿を、眼の光り方まで変えての表現に、凄さを感じた。エリーは力いっぱい、身体全体で役になりきるあまり、本来の介護士を超えた強さで患者に迫る姿に、介護士と患者の関係が少々気になった。

石見役の中田さんは、自分ではカッコいいと自負している、今時の若者の姿を彷彿とさせてくれた。
初舞台と言う、アリヤさんは、いじめられっこにされそうな不安定な、そのくせ、ところどころ綻びた様な、面白い面を見せてくれた。深刻にもなりやすい、テーマの中で、かなり息抜きをさせてくれるキャラクターに、これからがとても楽しみな人だと思った。

最後のどんでん返しは、まだらボケの、介護されている初老の男性こそ、藤村衿人、嘗て地質学者で地震も研究していた事が明らかになり、衿入、エリートこと、本物の「エリー」だったと言う落ちで終わる。
全体にまだ間の取り方がこなれていないと感じる。人と人とのやり取りの中のリズムがスムーズに流れる様になれぱ、一段と優れた舞台になるだろう。アリヤさんが時々息抜きをさせてくれるが、もっとこっけいな笑いが入ると見ごたえのある、楽しい舞台になる事だろう。
本間 午後の部

脚本、演出の近江木の実が前面に出た芝居だった。まず脚本の良さが光った。東海沖地震とその予知、高齢化に伴う認知症、更に恋人問題を絡ませた脚本は秀逸であった。

地震予知のできる女性(エリー)に仕立て上げ、彼女を利用しようとする研究者達(三原、アリヤ、ナシダ)。ナシダの恋人(石身)は女たらし。石身が言葉巧みにエリーに地震予知能力があるかのように錯覚させる。久しく恋人がいなかったエリーは、自分を偽りつつも石身に強く惹かれていく。多少認知症がある地震学者(藤村)の知恵を借りて一時は順調に行くかに見えた。無理矢理能力者として信じこませようとする研究者達。石身はエリーが自分に対する気持ちを知った時、普通の女性であることに気付かせようとする。そのとき実際に地震が起きて、すべてが現実に引き戻される。

演出(近江木の実)は役柄を上手く引き出していた。特に今回が初舞台だと言うアリヤ(桜井定生)は、独特の雰囲気を持つ役者で、将来が楽しみである。エリー(舘香緒里)は、安定した演技で安心して見られた。石身(中田亮)は成長著しく、役柄ともマツチして現代の若者をニヒルに演じていたのは見事だった。残念な事は三原(伊藤梨紗)が男性役で出ていたことである。キャスト不足の中で苦肉の策であったろうが、台詞を変える等一工夫が欲しかった。
脚本、演出、役者(見野文昭)は、八面六臂の大活躍。役者でも認知症の学者を、落ち着いた演技で見せていたのは流石であった。

昨年は鉄工所の一角で彼らの芝居を見た。芝居の原点を見た興奮を覚えた。今回は全く正反対のメイワン8Fホール。演じる皆さんも一段と華やかに、活き活きと演じていた。今回も舞台装置(アトリエPapa)は簡素で好感が持てた。洋間が藤村の居室や研究室になっていた。場面転換で撤去されると、家の塀になって道路となる。小道具(小杉綾)も細部に渡って心配りされていた。音楽の選曲(舘香緒里)も現代風で時代を表し、舞台とマッチしていた。照明(大石麻世)は、暖かく舞台全体を均等に当てていたのは良かった。

今回が旗揚げ公演。作、演出の見野氏と一緒にスタッフ、キャストが今後どの様な芝居を見せて下さるのかが楽しみである。オリジナルな作品を心掛けて行くと劇団紹介にあったが、従来の形を破り新鮮な劇団に成長することを祈っている。
阿部「まずは、そのはじめの一歩に乾杯!」
11月27日夜、エアロホール(メイワン)で行なわれたM-planet第1回公演『いいとしのエリー』。これは、気の利いた大人のメルヘンへと育っていく可能性を、豊かに秘めた舞台だったと言えるでしょう。

まずストーリー(作・演出:近江木の実)から。地震の予知に万策尽きた予知推進グループがついに、予知能力者の発掘に手を染めた。かつて予知に成功したエリーという名の存在がいた。どうやらそれは若い女性で、今は介護ヘルパーをしているらしい。早速に超プレーボーイを使って、彼女をグループに引き入れ、たっぷり儲けようという魂胆。

ターゲットの女性は今、若年性アルツハイマー病の物理学者の世話をしている。そして彼の病の進行に、不安と苛立ちを隠しきれない。プレーボーイはターゲットに急接近。何も気づいていない彼女にいろいろと吹き込んで、すっかり予知能力者に仕立て上げてしまう。突然の男性の出現と、それを受けて舞い上がる彼女に、時に厳しい言葉をかける物理学者。そう、ふたりはたがいに気遣いあっているのです。まるで、引かれあうけれど、決してぶつかり合わない万有引力のような愛情でもって……。

その後いろいろあったけれど結局、彼女は地震の予知はできず、かつて予知が的中したのは、今はそんなことなどとうに忘れた物理学者と判明。でも彼の研究は、地震とは予知できないもの、との最終結論に達していた。無垢な愛情で結ばれたふたりの名前は、エリーと襟人(エリート)……。

万有引力のような愛情を象徴して、舞台には林檎が印象的に登場します。低く奥行きの浅い舞台の前のフロアには、半径2mほどの半円状に点々と林檎が置かれているし、エリーと襟人の間を行きかうのも林檎、プレーボーイとエリーの出会いを演出するのも林檎……。物語の性格を際立たせて成功しています(小道具:小杉綾)。

頻繁に切り替わる場面は、数脚の椅子などごくシンプルな装置と、照明を暗転させることによってスピーディーに行なわれ、流れを崩さず快適です(大道具:アトリエPapa、照明:月下美人・大石麻世)。流れる曲も、ユーミンやBENNIE Kなど心地よいもの(選曲:舘香緒里)。

しかしながらほぼ2時間の舞台は、ずいぶんと長く感じられました。ストーリーは確かに進んでゆくけれど、全体がとても平板に感じられてならなかったのです。

原因の一端は、物語が役者の中で内面化されていないことにあるでしょう。それ故に演技も、説明的であったり、類型化してしまったり。例えば、林檎の皮をむくからといって、存在しない水道で手を洗う必要はありますか?善良だけれど気弱な若者は、ただ身もだえするだけなのですか?セリフも、時に早口になって聞き取りにくく、しっかりと身体から発せられた言葉にはなっていませんでした。

劇団旗揚げ後、最初の公演で、とにかく現在の位置は確認できたのです。中年男性と若者たちのユニットならでは、今後できることも様々にあるでしょう。劇団のこれからの豊かな成長に期待しましょう。
公演アンケートより
●少人数の公演でセリフが多いのに大変よくできていた。ストーリーも面白く各人熱演で最後に涙が出てくるほど大変よかった。

●台詞の言葉遊びが野田秀樹の小劇場作品ぽかったですが、藤村さんの本名とエリーの種明かしはオリジナリティーの域に到達していました。

●深いなぁと思いました。人間の本性とかアルツハイマーの人の考えとか、私の予想を越えたものに気付かされた感じです。面白かったです。次も楽しみにしています。

●藤村役をやった方はやっぱり演技が上手くって、後半からのもう一人のエリーがわかるシーンは私もドキドキしました!そして最後はなぜか涙がこぼれそうになって・・・。また見たいです。

●旗揚げ公演ということでプレッシャーもあったかと思いますが、素晴らしい出来であったと思います。近江さんの本は掛け値なしに抜きん出ていると思います。私は好きです。

●話や言葉がとてもよくできていて良かったです。他の人に紹介して連れてきて見てみたいと思わせる芝居でした。話の展開もとても面白かったです。落ち続けるのにぶつかれないもどかしさ、共感するものがありました。アリヤ役、地か演技かわかりませんがとてもいい味でした。